No.42 我が母校

うちの母校がとんでもない事になってました(笑) 高校です、はい。特に、在学していた人達は驚愕し、失礼ではありますが、笑ってしまうんじゃにでしょうか。。。。ちょっと話がそれますがお付き合い下さい。うちの高校はちょっと変わった高校でしたので。

摂陵高校、中学3年生の進路進学を考える時に始めて知った高校でした。中学時代、ハンドボールを一生懸命にしていた僕の中には全然興味もない高校でした。実際、有り難い事に、強豪高校から推薦の話もありました。ホントの所はそういった強豪高校に行くものだと、自分自身ずっと思っていました。

しかし、実際、進学の際に親から猛反発をくらって、スポーツで高校に行くという事は諦めなければいけませんでした。そんな中学3年生の夏の親子進路相談で、成績が偏差値50前後の僕に当時の担任が母を泣かしてしまうという事がありました。

それまで勉強に対してそんなに貪欲ではなかった僕の気持ちに火をつけてくれました(笑) 僕が話す高校全てを担任は絶対に行けないと、さらに僕と母を追い込ん出来ました(笑)

そんな中、摂陵高校のパンフレットが目に止まり、『個性の数だけ自由がる』というキャッチコピーと、高校の全景を写した航空写真には立派な立派なグランドが校舎の敷地以上にあったのです。

当時の摂陵高校の偏差値は53~56(普通科)だったと記憶しています。確実合格にするには最低55なかったら受験さけOKしてくれない状況でした。それに対して僕の偏差値は時には50を確実に切ってくる状況・・・、トホホ・・・。

こういった状況ですから、母が親子進路相談で泣くのは当然で、担任も僕に希望校の受験さえ拒否し続けました。拒否されれば燃え上がる性格の僕なわけで、、、しかも、、『個性の数だけ自由がある』というキャッチコピーに立派なグランドもありじゃありませんか!それに、ハンドボール部もあって、スポーツ推薦などは一切していないのに、ブロック優勝したりと好成績を収めているのを知って、僕の闘争心に火がつきまくったのです。

高校に入れば自由な生活と、僕の力でハンドボール部をもっと強くなるんだと息巻いて、高校受験に燃えるほど力を費やしました。結果、見事合格出来て入学する事が出来たのです。ここが、僕の人生の過ちをあげろと言われれば1つになるのかもしれません(笑)

 

4月1日に入学すると、勉強合宿なるものがあり、4日間程度合宿所で全新入生が缶詰で勉強と規律の厳しさを徹底的に教え込まれたのです、トホホ・・・。入学後に知ったのですが、規律の厳しさは大阪府下の学校で3本の指に入る程の厳しさだったのです。

服装の乱れはもちろん、学生服(学ランです)のフックさえしていなかったらひどく怒られるのです。前髪は眉毛より上で耳にかかってはいけない、カッターシャツを必ず着て、中のシャツは白色しかダメ。そういったビジュアル的なものはとことんまで厳しかったです。

しかも授業は1日最低6時間、週に2回は8時間ありました。なんせ、就職禁止の学校なんです(笑)。基本的には全員大学進学。それを謳い文句にしている高校でした。偏差値50でも大学にいけます!的な感じです。まあ、ベビーブーム世代の僕達ですから、教育ブームが下火とは言え、偏差値の高い大学=幸せな人生という大学神話が確実にあった時代でした。

在学した事のある人達や、それに近い高校時代を経験した方なら多く共感してくれると思いますが、男子校で授業が終わるのが早くて3時頃。遅ければ5時・・・。俺の青春ってのは、、、、こんな青春を送るために生きてるのか。。。。と、入学してから数ヶ月は首をうなだれました。

し・か・も、航空写真に写っていたグランドは、実は、高校のグランドではなく、どこかの会社が持ってるグランドで、一切関係のないグランドだったのです(笑) だまされましたよ(笑) だって、全景の半分近くがグランドだったんですから(笑)

しかし、ハンドボールを一生懸命にすることで、高校時代をどうにか乗り切る事ができ、どうにか今に至ります。元来明るい僕は、自分なりには楽しんで高校ライフを過ごしましたが、他の同級生たちは知りません。。。たぶん、そんなに楽しくなかったかも。。。

で、

ここから本題です、だいぶ長くなってすいません。。。 それだけ個性の強烈な高校だったんです。少し悪そうな跳ね返り連中は1年生の夏までに『やってられるか!!』と退学していきます。後は、学校側が押し付ける厳しさに耐える僕達です(笑)

当時の僕達の入学者数は約250人程度(普通科)だったはずです。その我が母校がナント!あの早稲田の付属高校となったのです!! その名も早稲田摂陵高校!! いや~、驚きです。なんでウチの高校が? みんなそう思ってます。個人的には嬉しく思ってます。

なぜなら、高校のハンドボール部の顧問の先生が早稲田大学ハンドボール部出身らしく、高校のユニフォームは早稲田のエンジ色をあしらったユニフォームだったので、今でも大学スポーツで早稲田を見るときは少し応援しちゃいます。はい。

いや~、ホントびっくりです。卒業して、早稲田に行けなかった僕には全然関係のない話しなんですけど。

で、

もっとビックリする事がありまして・・・。これを今エントリーで最も言いたかったのですが…。2008年に付属高校となり、2009年2月の入試が付属高校として初めての入試。早稲田ブランドにどれだけの人が集まるのか興味をもっていました。募集生徒数300人近くに対してどれだけの応募が…。

で、

結果、ナント!! 応募者数は!!

『50人程度!!』だったんです(笑) 入学したのは30人程度と聞いています(笑)

2年生も3年生も10クラス位あるのに、1年生は1クラス!!!!! もう、これって塾ですよ。原因は、早稲田大学側の要望で偏差値が高い生徒のみを取れとい事があったと聞いています。

それを入試説明会や付近の中学にも伝えたんでしょうね、だから受験者数が50人程度になったんですね…。

今まで1学年250人前後の生徒数がいて、それに対する教員の数や設備があり、それが生徒数の大幅激減となれば経営していけるのですかね。

大阪府下の私立高校で入学者数が50人なんて聞いたことないですよ! ほんと!! 母校がどうなっていくのか、もうそろそろ2010年の願書受付と入試が始まるはずです。その発表をドキドキしながら見てます、僕。

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このページは、店主が2010年1月24日 05:53に書いたブログ記事です。

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